ログイン
  1. ブログTOP
  2. か なさんのブログ

か なさんのブログ2025年12月のアーカイブ

  1. 12/15 (月) 5:27

    黒:カンさん 白:フィガロ

    後ろにちょこんとのるんちゃん(♂) 普段、フィガロはトンくん(カンさんの息子)と隣にいることが多いのですが… 今回はカンさんと並んでました。 フィガロはまだヤングなので、距離感を気にせずグイグイきます。 そのせいでカンさんに何度も怒られてます(^◇^;) トンくんとフィガロが2人でドタバタすると、カンさんが 「お前らうるせえ!俺のシマでなに暴れとるんじゃ!」 って感じでキレます。 元ボス猫だけあって、下っぱどもにはすごみと力で示すスタイルです! そのせいで、最年長のるんちゃんの立場がますます端っこに追いやられている感じです笑 それでも、カンさんのことは一目置いているらしく、フィガロも彼なりにリスペクトしている模様です⭐︎

    か な
    メール
  2. 12/14 (日) 7:55

    昔の話をしている中で、「うちらの代は歌が上手かったよね」という話題が出た。

    その言葉に、少しだけ考えさせられた。 今の自分の視点で振り返ると、 技術的に見て「上手かった」と言えるかというと、 正直そうではなかったと思う。 母音はつながっていないし、 フレージングも弱く、 音程も安定していなかった。 ただ、それは誰かが悪いとか、 間違っていたとか、 そういう話ではない。 当時の私たちは、 歌う側も、評価する側も、 音楽的にはほとんど素人だった。 中学時代の音楽は、 理論や身体の使い方を学ぶ場というより、 決められたものを揃えて再現する時間だった。 だから 「一生懸命だった」 「揃っていた」 「ちゃんとやり切った」 そういう基準で 「上手かった」と感じるのは、 とても自然なことだと思う。 また、同級生の話では、 当時の下級生が涙を流して感動していた、 というエピソードも出てきた。 それを聞いて、 正直なところ、少し引っかかった。 というのも、 私自身が音楽の中で一番苦手なのが、 中学・高校でよく歌われる合唱曲だからだ。 正しい音程。 正しいリズム。 隣の人ときれいに揃えること。 それ自体は間違っていない。 でも、それだけを目標にした瞬間、 音楽は急に「作業」になる。 国語の教科書を 間違えずに音読しているような感じ。 あるいは、 一定の抑揚で唱えられるお経に近い。 整ってはいるけれど、 音楽としては、もう息をしていない。 少し前に、 合唱曲を歌っている動画で 「すごく上手」「感動した」と評価されているものを見かけた。 試しに再生してみたけれど、 正直、三十秒も耐えられなかった。 音程もリズムも揃っている。 でも、そこに音楽を感じられなかった。 自分でも驚くくらい、 思わず動画を止めてしまった。 たぶん私は、 「正しく歌っている音」を聴きたいのではなく、 「なぜその音がそこにあるのか」を感じたいのだと思う。 だから私は、 あの手の合唱曲を 「感動した」と言われても、 どうしてもピンと来ない。 ただ、それもまた、 間違いではないのだと思う。 音楽に何を求めるかは人それぞれで、 「揃っていること」 「大人数で一体になること」 に価値を見出す人もいる。 涙が出るほど心を動かされた、 という事実自体を否定するつもりはない。 それは技術の評価ではなく、 時間と記憶と感情の評価だから。 メンタルが歌に影響する、 という意見にも一理ある。 本番で緊張しないことや、 気持ちに余裕があることは、 確かに表現を助ける。 ただ、それ以上に大事なのは、 身体の使い方や、 音楽の構造を理解しているかどうかだと、 私は思っている。 感情だけでは音楽は成立しないし、 理論だけでも音楽にはならない。 メンタルは土台ではなく、 その上に乗るものだ。 一方で、 私は「人を育てる」という分野では、 完全に素人だ。 人間の子供を育てた経験はないし、 その大変さや視点については、 正直、何も言える立場にない。 だから、 音楽を「親目線」で見る感覚については、 向こうの方がプロだと思っている。 自分が中学生の頃に歌った曲を、 何年も経って、 自分の子供が歌ってくれる。 その感動がどれほどのものかは、 育てた人にしか分からない。 その瞬間に見える景色や、 胸に込み上げてくるものは、 私はたぶん一生味わうことがない。 だから、 その立場から 「あの頃の歌は良かった」 「上手かった」 と感じること自体を、 否定する気はまったくない。 評価軸が違えば、 見える景色が違うのは当たり前だ。 そこで正しさを競っても、 結局「だから何?」で終わる。 先日の飲み会は、 音楽の話をしているようで、 実はそれぞれが 自分の人生の話をしている時間だったのだと、 あとから気づいた。 昔、祖母に 「かなちゃんはクラシックを弾かないのね」 と言われたことがある。 当時は何も考えなかったけれど、 今なら、その一言の背景が分かる気がする。 今だったら、 親孝行みたいな形で 音楽と向き合えたかもしれない。 私はピアノ科ではないから、 クラシックを弾くことは、 たぶん一生ない。 でも、 歌うことはあるかもしれない。

    か な
    メール
  3. 12/14 (日) 6:48

    昨日、同窓会の飲み会があった。

    久しぶりに顔を合わせて、近況を話して、 その中で何人かが「もう年だわ〜」って言ってた。 悪気がないのは分かるし、 軽い冗談なのも分かる。 でも、その言葉にちょっと引っかかった。 「年だから無理」って言い出したら、 正直、いくらでも言い訳できるから。 当時92歳で高音を出して歌い切ったオペラ歌手を知っているし、 伊能忠敬は50代から測量を始めて、日本地図を完成させた。 カーネル・サンダースは60代になってからケンタッキーを広めた。 彼らは「若かった」わけじゃない。 ただ、別のやり方を選んだだけだと思う。 年を取ったら、 若い頃と同じ方法が使えなくなるのは当たり前。 でもそれは「終わり」じゃなくて、 やり方を組み替えるタイミングなんだと思う。 無理をしない。 数で殴らない。 体力じゃなく、経験や工夫で勝つ。 最近、それは仕事でも同じだなと感じている。 効率だけを追いかけるより、 自分の得意な形で、 ちゃんと向き合えるやり方を選ぶ。 遠回りに見えても、 その方が長く続くし、後悔も少ない。 「年だから無理」じゃなくて、 「じゃあ、どうやる?」って考えられる人でいたい。 昨日の飲み会は、 そんなことを改めて考えるきっかけになった。

    か な
    メール
  4. 12/11 (木) 5:41

    《夢遊病の女》を観て感じたこと──ベルカントの美しさと、最近の演出・歌唱への違和感

    昨日は《夢遊病の女》(https://www.shochiku.co.jp/met/program/6903/)を観に行ってきた。 久しぶりに座った舞台は、美しい瞬間もあったけれど、正直いろいろ考えさせられる公演だった。 歌手の身体の状態や演出のバランスが、そのまま舞台の印象に直結してしまうのを痛感した。 ⸻ 歌手について感じたこと シドニー・マンカソーラ(リーザ) 高音に入る前の「ハァッ!!」という胸式の吸気音が毎回はっきり聞こえてきて、集中が削がれた。 声自体は良いのに、支えが不安定で落ち着かない印象。 胸式でアタックを揃えるスタイルなら理解できるけど、今回は単に苦しそうに見えた。 ⸻ アレクサンダー・ヴィノグラドフ(ロドルフォ伯爵) 声がほとんど響かず、喉奥で押している感じ。抜ける響きがほぼゼロだった。 さらに、舞台上で実際にタバコを取り出し、火をつけて吸った直後に歌っていて、その声質はドス黒く荒れていた。 もっと柔らかく歌える人なのに、今日は別人のようだった。 ⸻ ネイディーンについて 今回、ネイディーンが観たくてこの公演を選んだので、正直少し期待外れだった。 ここ2年くらい、私の中で印象に残っていた歌手で、以前聞いたグノーの『ロミオとジュリエット』では、本当に素敵で鳥肌ものの歌唱を聴かせてくれたからだ。 今回は前半、声をセーブして体力を温存している印象が強く、難しいカデンツでフラフラする場面もあって、正直「あれ?」と思った。 声自体は成熟して素敵だけれど、やはり年齢に関係なく、基礎体力やスタミナを維持していないと、舞台上では力を出し切れないのだと改めて感じた。 終盤でのハイFロングトーンも、ベッリーニの意図したスタイルではなく、観客向けのサービス的な要素が強かった。 技術や表現力があっても、やはり体が支えてくれないと、力強く安定した歌唱は最後まで維持できない。 ⸻ 歌手の身体・スタミナ・精神力について 今回、全体を通して感じたのは、ソリストたちの体幹や筋力、スタミナの安定感がやや不足していること。 声は良くても、身体の支えが弱いと高音や長いフレーズで安定せず、舞台上での表現にも影響する。 ここから思ったのは、やはり歌手にとって体力こそ基本ということ。 才能やセンスはもちろん大切だけれど、その前にしっかりした体力・スタミナ、そして最後までやり切る精神力が土台として必要なのだ。 年齢を重ねても、基礎体力を維持していれば声は年齢に負けず輝くし、逆に体力をおろそかにすると、若くても舞台で力を出し切れない。 ネイディーンの今回のフラフラ感も、まさにこの土台の部分が影響していたのではないかと感じた。 ⸻ 演出について アミーナ&エルヴィーノの愛の2重唱(オケなしの部分) せっかく歌手が美しく歌っているのに、演出でおちゃらけた要素を入れると、舞台全体の雰囲気がかなりぶち壊しになる。 ベルカント自体にコント的演出は本来ほとんど存在しないし、作品の繊細な世界観を考えると、笑いや軽いギャグは基本的に合わない。 もちろん、現代演出では観客の関心を引くために挑戦することもあるが、本来のベルカントの美学とのバランスが難しい。 今回の演出も、好みが分かれる冒険的な試みだったと思う。 ⸻ 全体を通して感じたこと 歌手の身体の状態や演出のバランスがチグハグで、ベルカントの核心から外れてしまった印象の公演だった。 それでも作品そのものの美しさは残っていて、部分的には素晴らしい瞬間もあった。 ただ、舞台上での些細な不安定さや違和感が、そのまま見えてしまうのがもどかしかった。 追記:ラスト高音について Nessun dormaの終盤での高い音も、正直言えばほとんどファンサービスだと思う。 プッチーニの楽譜にはその高音は書かれておらず、観客向けに舞台の盛り上がりを作るための慣習として定着したもの。 こうした舞台上の“盛り上げ方”も、歌手の技術や演出とのバランスを考える上で、気になるポイントのひとつだった。 ⸻ まとめ 歌手の技術、身体の支え、スタミナ、精神力、指揮のテンポ感、舞台の空気――すべてが揃って初めて、ベルカントは生き生きとした舞台になる。 今回はそのどれかが揃わない瞬間が目立った。 ロドルフォ伯爵のタバコ直後の歌唱、ネイディーンのカデンツでの不安定さ、アミーナ&エルヴィーノの2重唱での演出の違和感、そしてNessun dormaのラスト高音のファンサービス的演出も含めて、舞台上の“生々しさ”が記憶に残った。 改めて感じたのは、まず体力とスタミナ、そして精神力が土台であり、その上に才能やセンスが乗るということ。 年齢を言い訳にせず、日頃の基礎作りを怠らないことが、舞台での歌唱を最後まで輝かせる鍵なのだと実感した。

    か な
    メール
  5. 12/9 (火) 23:00

    同居人?に「寒い」と怒られたので、

    ペイディ後払いで、電気毛布をAmazonで購入しました❄️💸 例え金欠でも、命に関わることだからケチれないよね…✨ ちなみに説明書には 「ペットはご遠慮ください」って書いてあったんですけど (低温火傷の心配があるから) 当の本ニャンたちは思いっきり気に入っておられます🐈‍⬛💕 むしろ“ペットNG”と知らずに買ってしまったけど…😇 人間が寝てもめちゃくちゃ心地よくて、 電気つけなくても充分あったかいんです🌿 最大にしても「暑っっ!!」って感じではない🔥笑 シニアなら気をつけてたけど、 このお方たちは暑かったら自分でスッと出るので まぁ何とかなるかな〜って思ってます😌💭

    か な
    メール
  6. 12/5 (金) 0:17

    秩父夜祭り行ってきた!

    上下ともに厚めインナー2枚+ウインドブレーカーで寒さは余裕。 風ほぼなし&人多すぎて常時肉壁、体感温度めちゃ快適(笑) 12/1の宝登山の火事の影響で警備がかなり厳重で、秩父神社には行けず強制迂回。そこはちょっと残念だったけど、寒空の下で食べた熱々ラーメンが美味しすぎて全部帳消しになった。 帰りに武甲正宗も買えて優勝。 冬イベント、防寒さえミスらなければちゃんと楽しめる。

    か な
    メール